広報誌『学』Vol.22

AI技術の発展は、教育を進化させるのか?

河端

まずは 今回も山口さんと三浦さんをお招きし、実際に教壇に立たれて子どもたちの指導もしているお二人に、「AIやDXの進化が、教育にどう関係するのか」をテーマにお話をお伺いしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

山口

三浦

よろしくお願いいたします。

河端

コンピューターや映像、あるいはAIなどを導入して教育を進化させていこうとする試みは、わが国でも、かなり昔からあります。私はこの仕事を始めて50年になりますが、正直そういったことが現実的だとは思っていませんでした。しかし近年、そろそろそういう時代になったのかなと感じる部分があり、enaでも映像授業の取り組みを本格的にスタートさせています。ただ「AI」については私自身、まだ半信半疑であるのが正直なところです。AIと教育との関係性について、どうお考えになりますか。

山口

人工知能の一種として「機械学習」という言葉をよく聞きますが、人間の学び方とは大きく異なります。例えば「猫」を理解させるために、大量の猫の画像からなる教師データを学習させる流れは、私たち人間が持っている「概念を伝える」ということが、まだAIにはできていない証だと思います。人間にとって一番重要なのは、概念を概念として伝えていくことですから、それができていないAlは、人間と同じレベルで思考したり認知したりできているわけではありません。ただ、その一方で、ある生徒が反復で問題を解いていく過程で、この問題をよく間違えるという傾向が見られたときに、それを自動的に繰り返し出題してもらえるなど、優れている部分もあります。こうした強みを取り入れることは、教育にも効果があるのではないでしょうか。

三浦

機械学習とディープラーニングの違いは、例えば機械学習は「猫」というお題を人が設定し、それをひたすら学習させることに対して、ディープラーニングはもっと先に進んでいる概念で、我々人間も理解していないことを解析してくれるイメージです。私は今回、経団連と協力し、JRのデータを使って新型コロナウイルスにまつわる人流データの解析結果をチームで提供しましたが、このディープラーニングの手法を使うと、「原因はわからないけれど、何が出てくるのかはわかる」ということが見えてきます。人間はすでにわかっているもの、例えば人流や気温などを積み上げて、推論を重ねますが、複雑系の世界においてはそのような単純化された手法はなじまず、正確に予想することはできません。ディープラーニングでは、人間が知り得ないものまでも含めてパターンを認識するため、「これは成功するけれども、なぜ成功するのかはよくわからない」ということがあり得るわけです。

河端

なるほど。正解というのか、結果は導き出せても、その過程や理由は見えないわけですね。

三浦

はい。こうした部分を教育界に応用するやり方は二つあるのかなと。ひとつは会社としてのマネジメントやサービスの最適化のための当たり前にやらなければいけない導入の部分。もうひとつは、教師が見えていない部分にも届くための技術導入の意義です。教師は日ごろから子どもをよく見ていますが、その子の抱える課題の最適な解決方法がわからない場合もあり得る。そんなときに、ディープラーニングの助けを借りることもできるかもしれない。子どものやる気だとか、反復の回数だとか、そういったものも適正なアドバイスが出て来るかもしれない。ただし、なぜなのかという理由は人間が後付けで考えるしかないのです。AIだけに頼るのではなく、導き出された結果を教師の持つ経験やノウハウなどで補うことが必要です。

河端

AIの権威である東大の松尾豊先生に伺ったところによると、AIにはブームがあって、現在は第三次ブームらしいのですが、その第三次ブームが起こった理由は、画像認識が90%以上にまで精度が上がったからだというのです。例えばCTの画像を見て、その人が癌であるかどうかについては認識できるようになって、人間が判断するよりも、正確になってきたと。でも、それはそうですよね。何十万もの画像を一気に解析して、どれが癌でどれが癌でないかを機械が学べることは想像に難くないわけですから。ですから逆に言えば、まだそのレベルなのかとも言えると思うのです。しかも、語学については、その言葉が使われている前後関係のニュアンスから文章を理解して続く言葉を選んだり、あるいは英語であれば、その英文を本当にこなれた日本語に訳したりといったことについては、まだまだ画像認識以上に力不足なのです。

山口

コンピューターは、膨大な画像データを処理することに対しては人間よりずっと優れているものの、人間が小さな子ですら「これは猫」だとわかることについては、それを自ら「猫」だと認知できるところまでは進んでいないわけですよね。つまり人間とAIができることは、まだ全然別の能力ですから、人間の仕事がAIにすべて入れ替わると言われますが、もう少し先のことだと思ってしまいます。

河端

もちろん科学の進歩は必要ですし、AIが無駄だとかそういう話ではなくて、いろいろな状況を鑑みれば、特に教育分野におけるAIというのは、まだまだ開発途上であるとの思いを強く感じています。

まずは知識の幹となる全体像から学ぶべき

山口

あえて難しい問題を子どもに与えて考えさせることがありますが、少し危惧しています。大人の視点から「子どもは考えなさい」と伝えても、サインもコサインもわからない子どもたちに、応用問題をいきなりやってみなさいというのは、すごく酷だと思うのです。とにかく疑いなさい、自分の頭で考えなさいと大人の視点で言い続けることは、子どもにとってストレスではないでしょうか。

河端

確かに子どもの視点で考えることは必要ですし、いきなり応用問題を解かせるのも良くありま せん。例えば日本史や世界史も、私が教えるときには、必ず全体像から教えるようにしています。江戸時代の前はどんな時代だったのか、江戸時代の後はどんな時代だったのかなどを、ざっくりであっても、それを理解してもらい、その上で細部に段々と入っていく流れが適切なのです。ところが世の流れなのか、最近は部分的に、例えば応仁の乱を理解するのは大人でも難しいはずですが、そういうところから教える教師が増えている気がします。自分の興味を押し付けているとしか見えません。

山口

私が東大の学生だったとき、テストの採点をしていた先生が、「第一次世界大戦と第二次世界大戦を知らない生徒たちがいることが衝撃です」とおっしゃっていたことを思い出しました。最近の傾向としては、いわば枝葉学習の子たちが増えて、枝葉のところにすごく詳しい人が多いと感じています。「韓国は日本を慰安婦問題で非難するけれど、ベトナムに対して韓国は同じようなことをしていた」というような知識を持っているのに、全体としての幹の部分を知らないというのは、結構グロテスクなバランスですよね。そういう意味では、全体を知らずして細部から入るのは、割と危険なことだと思います。

三浦

ただ、どうしても感覚的に、細かな点まで腑に落ちないと、理解した気になれない子っているんですよね。私もそうでしたし、うちの娘もそういうタイプなんです。そうした子たちの成果を測るために、どういうことができるのかなといつも考えています。一方で、ではどうすれば学力が伸びるのか。自分の娘のパターンで言えば、単純に点数を上げるのであれば、確かめ算をしっかりさせると効果があるわけです。それが「目の前の成果」なんですよね。でも、うちの子は応用問題を考えるのは楽しいみたいだけど、確かめ算をしないんです。よく小数点の位置を間違えるし。難しい問題を考える楽しさを捨てずに、それ以前の集中力の維持だとか確かめ算だとか、そういう基礎的なものを身につけさせることが必要ですよね。

河端

受験のテクニックを教える立場から言えば、例えば東大の入試であれば、おっしゃるような確かめ算以前に、数学では「どの問題を捨てるのか」を決めることが一番大切ですし、そうした取り組みの方が現実的になってきます。やはり全体を概観することが大切で、その上で細かいところに興味を持って、そこを深掘りしていくと。これが一番「鬼に金棒」ではないでしょうか。だから我々学習塾は、まずは概観する部分を鍛えているのであって、深掘りについては、最高学府に行ってから頑張りましょうと考える部分はありますね。

三浦様 山口様

ブルーライトは人に良い? 悪い?

三浦

最近は本や雑誌をiPhoneやiPadをはじめ、デジタル機器で読む機会が増えましたが、紙で読むよりもiPhoneなどの方が、集中して読める気がしませんか。これは本で読んだ知識ですが、そこには画面から発生するブルーライトが影響していて、いわゆる紙で見ているときとは違って、ブルーライトが交感神経を刺激して脳を覚醒させる働きがあるからだそうです。要はブルーライトによって覚醒し、ずっとそれに集中して読めてしまい、短い時間で情報を処理できてしまうということ。よくスマホを寝る前に見ると眠れなくなると言いますが、それはこの覚醒効果があるからということのようです。

河端

ブルーライトは目に良くないなど、一時期はマイナス面をよく耳にしましたね。

三浦

自律神経の中は落ち着かせる部分と活性化させる部分がありますが、活性化する部分に作用して、集中力を高める効果があるんでしょうね。

山口

ブルーライトは交感神経に働くんですね。私が本を読むときは、恐らく文字全体を、ある種、映像として捉えているところがあって、紙に慣れているからだと思いますが、今のところは、まだ紙の方が速く読めると感じています。でも今度ブルーライトで、何か同じ文章を読み比べてみたいと思いました。

三浦

同じ記事を新聞紙とiPhone で読み比べると一番違いがわかりますね。私も普段の読書は完全に紙ですが、大量の情報を短時間で捌くためにはiPhoneの方が便利です。

河端

それは面白いですね。今日帰ったら早速試してみます。

三浦

子どもを集中させるデバイスとして、iPadなどはすごく効果があるのかもしれない。それだけに、遊びやザッピングに使うだけでなくコンテンツ、中身に意味のあるものを取り入れる必要がありますね。ただ本に関しては、うちの子にはKindleは使ってもiPadでは読ませないようにしています。紙のものを集中して読めなくなってしまうと問題なので。

河端

夜眠れなくなるほどの覚醒効果があるのですから、ブルーライトの長時間の視聴には、やはり気をつけるべきだと思いますが、おっしゃる通り、オンライン学習に一定時間集中させるなどのメリットもあるのかもしれませんね。いろいろ調べてみたいと思います。

映像にシフトした決め手は「生徒への声かけ」の実現

河端

我々も映像授業に本格的に取り組んでいますが、やはり映像授業とリアルな授業とでは、現場の空気感が違うという考え方の人がいます。私もかつてそうだったので、気持ちはよくわかります。

山口

最近は研究会などもオンラインに移行していて、どこにいても参加できるのは便利ですね。ただ、話す人の感情だとか熱量だとかをダイレクトに共有するなら、やはりリアルの方がいいんだろうなとは思います。また研究会前後のちょっとした雑談が、実はクリエイティブな発想につながることもあったので、そうした時間がなくなるのは少し寂しいです。

河端

私が映像に踏み切った一番の理由は双方向の実現でした。片側から授業を流すだけでは、私たち塾の教師からすれば、致命的な点が欠落してしまいます。それは「生徒への声かけ」です。生徒はみんな、基本的に勉強をやりたくないわけです。ある程度強いられている部分があるのが実情。そうなるとちょっと気を抜いてしまい、さぼったり、隣を見たり、外を見たりするときは、やはり教師が「河端、何やってんだ!」といった声をかけてやる必要があるわけです。それがこれまでの一方通行のシステムではできなかったものが、Zoomによって、教師が生徒の様子を全部見られるようになりました。確かに雰囲気や空気感は出せないかもしれませんが、注意はできるわけです。それだけでも私に映像授業を踏み切らせるには十分なポイントでした。

三浦

Zoomは子どもたちからしても、発言しやすかったり、集中できたりするようです。大人になってからデジタルが入ってきた我々は、リアルの方に慣れている部分もありますが、今のデジタル世代の子どもたちは、むしろリアルな対人関係のストレスの方が大きいとも言います。ただインターネットの高校であるN高の生徒もリアルにストレスを感じるからと言うだけでなく、むしろ自分の時間を有効活用するために選んで入った子が多いように思います。あとは、地方に住んでいる子が東京と同じ教育を受けられるというのが一番のメリットであるかもしれない。これは地域の格差を取っ払うわけです。例えば海外に在住しているけれど、日本人学校が充実していないから、N高に入っている場合もあり、すごく可能性が広がったと感じます。

山口

アメリカでも、例えば司法試験予備校にオンラインが整備されていて、自分のタスクがどこまで進んでいるかなど、全部オンラインで管理されています。リアルな授業も同時に開校されていますが、ほとんどみんながオンライン授業を選んでいるそうです。

河端

実際にオンライン授業を始めてみて、今のところ感じているのはメリットばかりです。もしかすると将来の学校教育も映像授業が主流になるのではないかとさえ思います。学校で非常に大きな問題になっている、いじめや不登校といったこともオンライン授業で、ほぼ解決できるのではないでしょうか。単に学習塾の授業を映像に置き換える以上のことが将来的にあるのではないかと思えるのですが。

三浦

十分にあり得る話だと思います。N高の私の政治部では、25名から30名の生徒を指導しているのですが、実は1度も直接会ったことのない生徒が多いのです。それでも様々な課題等を通じて、彼らの考えていることは日々把握できています。オンラインで授業をし、グループワークをさせる、成果物を提出させる、それを通じて個々の理解度をチェックする、理解度に応じた課題を出す、こうしたことが実際に可能になってきているのですから。

科学の進歩で効率化すべき教育の課題とは?

河端

「末は博士か大臣か」という言葉があります。以前は立身出世の象徴でしたが、今の子どもたちに言ってもピンと来ないでしょうね。自分の子どもに将来はノーベル賞を取ってほしいと親が言うのも何かはばかられる風潮がある。価値相対主義というのか、自由は与えられたものの、子どもたちに将来の夢を持たせることが難しい時代だと感じます。

山口

正に移動の時間であったり、コストであったり、それらを効率化できるのがAIであり、DXだと思います。ただ学習塾の授業にオンラインが適しているのは明確ですが、例えば海外留学は決してオンラインでは代替されないとの話もあります。日本からZoomで現地の授業にアクセスはできても、現地の生徒たちの日常会話や休憩時間などの空気感、もっと言えば自分の英語が相手に伝わらない悔しさや伝わったときの感動など、そういう手触り感のようなものはオンラインで再現するのは難しいですよね。

三浦

効率化という意味では、結局ディープラーニングやDXと言われているものの目的は、人間の能 力を節約することにあります。教育現場で言えば教師の労働時間の短縮です。ただ教師の労力は節約するべきですが、AIの進化は生徒の労力まで節約している気がしています。例えば高校生が英訳や和訳をする際、すぐにGoogle翻訳やみらい翻訳を使って楽をしてしまう。便利になったのは良い部分はありますが、せめて社会人になるまでの間は、やはり少しは手作業していかないと、語学力も落ちてしまうと思います。生徒ではなく、先生の省エネにつながるAIの進化があるといいですね。

河端

なるほど。お話をお聞きしていて、教育業界におけるAIやオンラインの可能性や課題がいろいろと見えてきた気がします。一つ言えることは、科学の進歩は止めることができないということです。我々も立ち止まっていては取り残されていくだけ。世の中の流れ、そして子どもたちの未来を見据えながら、enaも進化し続けていく必要があります。これからもお二人には貴重なアドバイスをいただきたいと思います。今日はありがとうございました。

山口・三浦

ありがとうございました。

河端学院長 3ショット写真

山口 真由(やまぐち まゆ)

1983年北海道札幌市生まれ。2002年東京大学教養学部文科一類(法学部)入学、3年次に司法試験合格。2006年財務省に入省し、主税局に配属。2008年に依願退官後、法律事務所勤務を経て、2015年から2016年までハーバード大学ロースクールに留学。2017年ニューヨーク州弁護士登録。帰国後、東京大学大学院博士課程法学政治学研究科 総合法政専攻に在籍、2020年修了。博士(法学)。現在は信州大学先鋭領域融合研究群社会基盤研究所 特任教授、情報番組のコメンテーターやオンラインサロンを主催するなど様々な分野で活躍中。

三浦 瑠麗(みうら るり)

1980年神奈川県茅ケ崎市生まれ 。国際政治学者 。1999年東京大学理科一類入学、2006年東京大学大学院公共政策大学院 専門修士課程修了、2010年同大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程修了、博士(法学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て、現在は東京国際大学特命教授、山猫総合研究所代表、N/S高等学校政治部特別講師を務めるなど、多方面で活躍中。近著に『孤独の意味も、女であることの味わいも』(新潮社)、『私の考え』(新潮新書)、『日本の分断 私たちの民主主義の未来について』(文春新書)など。