
都立中の人気の理由と都立に強いenaの秘密
河端今回ご縁があって、山口さんには我がenaの社外取締役に就任していただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。
山口こちらこそよろしくお願いいたします。とても楽しみにしております。
河端学習塾という教育系企業にかかわられることになるわけですが、ぜひ抱負を聞かせてください。
山口 以前ほど「学歴社会」と言われなくなったとはいえ、まだまだ学歴が幅を利かせる文化が日本には根強く残っています。そんな中、enaは、特に都立中高の入試に強いとのことで、学費の高くないところでも高みを目指して駆け上がっていける、ある意味で子どもたちの未来を支えている学習塾だという印象です。私もできる限りのお手伝いをしたいと考えています。
河端2005年に最初の都立中高一貫校となる白?高附属中学が誕生したわけですが、我々はその当時から「これはチャンス」と捉え、都立中受検対策に徹底的に取り組んできました。それが都立中合格の半数以上をena生が占めている近年の合格実績につながっています。
山口中高一貫校といえば私立校のイメージが強く、高2までに6年間のカリキュラムを終えて高3は大学入試に備えた勉強ができるので、大学受験において公立校は私立校と比較して不利だと思っていました。それでも都立中は高いレベルの大学合格実績を出しているそうですね。
河端有名大学への合格者数という観点で見ると、私立校は「6年間中高一貫教育」の優位性を明確に示しました。その優位性を都立中も着々と示しており、難関4大学と呼ばれる東大、京大、東工大、一橋大、および国公立大の医学部への合格者数も増加傾向にあります。東京は高校授業料の実質無料化もあって私立へ進む生徒も多くいますが、こうした都立中の躍進により、都立中人気はずっと変わりません。東京には小6の生徒が約10万人いて、そのうち1割の約1万人が都立中を受検していますが、その競争率は6倍前後。私立は授業料無料とはいっても、その他にも諸々費用がかかりますから、学費が安いうえに卒業後の進路も遜色ないとなれば、都立中が人気になるのも当然のことです。
山口私は札幌出身なので、子どもの頃から地元の友だちも含めて北大を目指す環境でした。高校から東京に引っ越して筑波大附属高に通うと、周りがみんな東大志望で、私も自然と東大を目指すようになりました。そうした環境は大切だと思いますし、都立中も競争意識というのか、生徒たちが高みを目指すための環境を用意できているのかもしれませんね。
河端今春の入試では日比谷高校が63名の東大合格者を輩出して話題になりましたが、都立中に引っ張られる形で、最近は都立高の大学合格者数の実績も伸びており、「都立復活」とも言われています。この勢いはしばらく続きそうです。お子さんを東大をはじめとする有名大学に合格させたい保護者の方は、これまでは私立校が有力な近道でしたが、都立中および都立高の躍進によって、東京においてはその選択肢が増えたわけで、保護者の方にとっては福音となったのではないでしょうか。
山口enaは都立中はもちろんですが、都立高にも強いですものね。
河端特に日比谷高、西高、国立高など都立進学指導重点校と都が指定している難関7校の合格者数は、ずっとNo.1の数字を達成しています。
国語特有の論理的思考はすべての教科に必要な力
河端山口さんは東大ご出身ですが、東大合格には国語力が大切だと何かでお話しされていた記憶があります。
山口私の場合は国語力が大切というより、国語力しかなかったのですが(笑)。国語特有の論理的思考で物事を考えることは、どの教科にも共通して必要だと思うのです。今思えばその後のハーバード大学の入試も、論理的に思考し、その論理にしたがって自分を表現していくことで乗り切れた気がします。
河端国語力の重要性については私も大賛成です。実は東大入試の形式は50年前からほとんど変わっていません。英語にリスニングやディクテーションは加わりましたが、440点満点の配点もそのままですし、数学が文系4問、理系6問であることも変わりません。また年にもよりますが、おおよそ半分程度正解できれば合格ラインということも昔のままです。このどっしりと構えた姿に私は敬意を表したいと思います。そして変わらないからこそ、国語力の重要性がはっきりと見えてくるのです。
山口国語力と言っても単に国語科の話だけではありませんものね。
河端おっしゃる通り、国語が苦手だと社会や英語も解けないのです。文章で説明することの多い国語や社会はもちろんですが、例えば英語の英作文でも、まず和文和訳しなければ内容を理解できない問題がたくさん出されます。そういう意味では文系の人だけでなく、理系の人を含めても国語力の大切さは明確です。
山口私の主観かもしれませんが、東大の入試問題は、東大の先生方が自らの学問をかけて一生懸命に考えていらっしゃるのが伝わってくる気がします。解いていくと学問的な良識と善意を感じるのです。
河端東大入試が変わらない背景には、そういう部分もあるのかもしれませんね。
山口
ところで国語力や論理的思考力を高めるためには、やはり日頃から読むこと、書くことをしっかりやっていくことが必要なのでしょうか。

河端私が大学在籍中に学習塾を立ち上げて来年でちょうど50周年になります。その間、本当に多くの子どもたちや保護者の方とお話ししてきました。その経験からお話しすると、「うちの子どもは読書が好きです」とおっしゃる保護者の方は半分ぐらいおられましたが、「文章を書くことが好きです」という方はほとんどおられません。そこが日本の教育の弱い部分です。ただ読むだけではダメで、書くことも重要であることは、東大入試を見てもはっきりしています。
山口?言葉を知らないと文章を書くことは難しいので、語彙を増やすためにも多くの文章を読むことは大切ですが、確かに書くことに慣れていない子どもたちは多いかもしれません。読むことよりも書くことはどうしても負荷がかかりますから、なかなか自発的には取り組みませんよね。書くことも訓練が必要ですし、その書いたものを評価してもらう機会も欠かせません。
河端実は都立中や都立高の入試も東大と同じように「書くこと」がかなり重視されます。そのためenaでは徹底した作文指導を行っています。先程おっしゃった書く訓練も、書いたものの評価もしっかりやります。恐らく小6の生徒たちは年間100本に迫る作文を書いていると思いますよ。大変かもしれませんが、それが都立中合格には絶対に必要なことなのです。そしてこの経験は、将来的にも必ず生きてきますから。
最近の大学生に見る日本の教育の課題
河端山口さんは信州大学で教壇に立たれていますが、最近の大学生の印象はいかがですか。
山口授業中に質問すると、間違えることを恥ずかしく思うのか誰も手を挙げませんし、積極的に発言しようとしません。間違えるだけでなく、人と違う意見を話すことにも抵抗があるようです。知識がなくて間違うことと、知識を前提として他人と異なる意見を持つことは全く違うので、何でも思ったことは話してほしいのですが。
河端
私も大学で教えた経験がありますが、小学生のように積極的に手を挙げる人はいませんでしたね。しかも論文を書かせても問いと違うことを答える人が結構いて苦労したことを覚えています。山口さんが、学生を評価する際のポイントはどこにありますか。

山口レポートを評価する際に3つの観点で見ています。「立てた課題が良いか」「課題に向けた論理が正しいか」「それが証拠に基づいているか」の3点です。ただ最初の「課題を立てる」段階でつまずく学生が結構多いですね。適切な課題を立てられず、テーマが大き過ぎたり、小さ過ぎたり。自分で考える力、まさに論理的な思考力の問題だと思います。
河端最近よく耳にする「自ら課題を発見し、解決する能力」ですね。中学や高校でも近年アクティブラーニングが流行っています。授業の活性化という意味では良い部分もあるとは思いますが、その一方で、例えば大学受験を見据えた高校生にとって必要なことなのかなとの疑問もあります。まずは時間を惜しんで、学習の基礎となる数学の計算、英語の単語、国語の漢字をしっかりやるべきでは、と思います。
山口すごくわかります。基礎が身についていない人に「さあ応用を頑張ろう」と言っても何もできませんから。
河端当たり前のことを当たり前にできない生徒が多いということでしょうか。先程の見当違いの論文を書く大学生の件も、その多くは世界中で進んでいる研究を調べもせず、自分の頭の中だけで行きついた結論を「大発見だ!」と示すものが多かったです。少し文献を読めば、そんなこと何十年も前に誰かが気付いていることなのに、それを知らないわけです。世界の研究がどこまで進んでいるかを理解したうえで語らないと、研究者同士の対話にはなりません。
山口先行研究を知らないケースですね。私たちは先行研究にどのくらいのものを積み足せるかという立場ですから。
河端そこを知らずに自分の観点だけで「大発見」と言われても困るのです。
山口先行研究があってアイデアが出てくるものですし、先行研究を無視したアイデアは受け入れがたいものがあります。社会にはそれなりのルールがあって、そのルールに則ったうえで疑問を持つことが大事ですよね。まずはきっちりと既存のシステムへ敬意を払う意味でも、どういうシステムになっているのかを学ぶことから始めるべきかもしれません。
河端私の大学時代は学生運動が盛んな時期でしたから、とにかく論理的整合性を問うようなことばかりやり合っていました。そこで論理的思考が鍛えられた部分もあるのでしょうが、今とは時代が違い過ぎます。
山口私たちは、いわゆる「ゆとり世代」の前に当たる世代です。学問が立身出世の手段になっていて、学問によって身を立てなければならない感じでした。就職氷河期とも呼ばれ、就職も学問次第のようなところがあり、それこそ生きていくために学ぶ必要があったのです。でも今の学生たちの世代は、親はすごく教育に熱心ですが、その一方で本人たちは素直だけれど、立身出世などの強い欲はなく、少し意志の弱さを感じる印象です。そういう世代に学ぶことの概念をどう伝えればよいのかいつも考えています。
河端子どもは社会を映す鏡ですから、まずは社会が変わらなければ子どもたちも変わることができないのかもしれません。世代間の違いも含めて柔軟に考えていく必要がありそうです。
世界規模の競争社会は「生きる力」が必要
河端最近強く思うのは、この21世紀という時代は、やはり競争が激しい時代だということです。しかも競争する相手は日本の同世代だけに限りません。世界中の同世代と競争する必要がありますし、異なる年齢の人と競う機会も多くなるはずです。そうした中で必要となってくるのは「生きる力」だと言えます。
山口「生きる力」は具体的にはどのような力なのでしょうか。
河端端的に言えば「基礎的学力プラス社会で求められる力」でしょうか。まずは何よりも社会で通用するだけの基礎的学力は不可欠です。昔は小学校にしか通っていなくても一時代を築いた人も多くいました。松下幸之助さんや本田宗一郎さんもそうです。でも今の時代ではなかなか難しいでしょう。やはり最低限の計算ができて、漢字が書けて、英単語を覚えなければ後々困ることになります。
山口確かに最近は世の中が効率化を求め過ぎるのか、「基礎を徹底してやれ」という風潮が薄れてきたような気がします。
河端これからの社会は厳しい競争が強いられます。ちょっと計算や漢字を間違えたり、単純なミスをしたりするだけで「代わりはいくらでもいるから」と相手にされなくなるのです。現に就職マーケットは世界中に開けていて、お金さえ払えばいくらでも他から人材を集めることができる時代。結局のところコミュニケーション能力を問われる前の段階、つまりは基礎学力を身につけておかなければ話にならないのです。
山口
コミュニケーション能力は大事ですが、基礎的知識が備わってこそのコミュニケーションということですね。

河端そうです。しっかり基礎的学力という土台を築き、そのうえにこれからの社会で求められる能力を身につけるのです。その能力としては、コミュニケーション力はもちろん、最近は多くの職場で重要視されるアカウンタビリティ(説明責任)?、ディスクロージャー(情報開示)、プレゼンテーションなどの能力が挙げられます。
山口「生きる力」は「これからの社会で生きるために必要となる力」と言えるわけですね。
河端21世紀が世界規模の競争の時代であるのなら、そこに出ていって勝たなければ生き残っていけません。社会に参画し、貢献し、認められなければならないのです。そのためにも基礎的学力、そして社会に求められる能力が必要となります。
山口コミュニケーションもそうですが、アカウンタビリティ、ディスクロージャー、プレゼンテーションなどは、いわゆるアウトプットに対応する能力と言えます。昔から学校教育におけるアウトプットの基本は書くこと、筆記でした。ただ社会で必要となる能力は書くことだけでは不十分。口に出して、言葉にして伝えるコミュニケーションも必須です。こうした能力は学校でどれだけ学べるのでしょうか。
河端アクティブラーニングなどは、それらを意識した学び方なのでしょうが、それだけでは心許ない気がします。やはり学校教育では、まずは基礎的な学力を徹底的に身につけさせることを優先すべきだと思うのですが。
山口そうですね。これからの学校教育の大きな課題かもしれませんね。
子どもたちの成長に学習塾が果たす役割
山口「生きる力」の土台となるのが基礎的学力だとすれば、やはり小学生ぐらいからしっかり身につけていく必要がありますよね。
河端もちろんです。教育業界には「七五三」という言葉があって、算数は小学生の7割が理解し、数学は中学生の5割、高校生では3割が理解していることを示すものです。つまり基礎の基礎を学んでいる小学生時代にこそ、しっかり学習しておくべきだと思います。それが「生きる力」の土台となり、将来的に社会で求められる力へとつながっていくはずです。
山口私がイメージする「生きる力」は、「社会のいろいろな部分とコネクトしていける力」です。それを身につけるには、それこそいろいろな経験を積むことが必要なので、子どもを家庭の中だけに閉じ込めていてはいけないと思います。保護者の方に対して少しきつい言い方になるかもしれませんが、親の考えだけが絶対ではないということ。子どもは親以外の人からも多くのことを学んで成長していくのです。
河端子どもたちが成長するには、家庭だけでもダメ、学校だけでもダメ、もっと広いステージが必要です。そこには学習塾が果たす役割も大きいと考えています。学習塾は確かに子どもたちを受験(受検)に合格させることが使命ですが、我々は将来社会で求められる力を身につける際の土台となる基礎的な学力を養成しているとの自負を持っています。受験合格のさらにその先を見据えているのです。むしろこれこそが我々の真の仕事なのかもしれません。一昔前の学校はかなり詰め込み型の教育を行っていました。計算や漢字ができないと夕方遅くまで残されたものです。今の日本の教育は、必要なことだと分かっていても無理して詰め込むことをしません。学校もそうですし、国の考え方がそうです。だから我々学習塾が生きる力の土台作りをやっているのです。こうした思いは今後も持ち続けたいと思います。
山口
今日はこうして対談する機会をいただき、私も社外取締役という立場で、教育業界とどう向き合っていくべきか少し見えたような気がします。本当にありがとうございました。あらためまして、これからよろしくお願いいたします。

河端子どもたちの未来を支えるべく、一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします。
(対談日2021年5月10日)
山口 真由(やまぐち まゆ)
1983年北海道札幌市生まれ。2002年東京大学教養学部文科一類(法学部)入学、3年次に司法試験合格。2006年財務省に入省し、主税局に配属。2008年に依願退官後、法律事務所勤務を経て、2015年から2016年までハーバード大学ロースクールに留学。2017年ニューヨーク州弁護士登録。帰国後、東京大学大学院博士課程法学政治学研究科 総合法政専攻に在籍、2020年修了。博士(法学)に。現在は信州大学先鋭領域融合研究群社会基盤研究所 特任教授、情報番組のコメンテーターやオンラインサロンを主催するなど様々な分野で活躍中。2021年6月からenaの社外取締役を務める。