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小中学部

1.16 日刊ena塩浜 -一般人の肩①-

投稿日: 2025.01.16 7:16 pm

こんにちは、この冬まだ一度もりんごを食べていないena塩浜の青木です。

 

1月16日、木曜日。

 

平成28年度の都立中適性検査共同作成問題の適性検査Ⅰは、

読書論が題材でした。

その文章の中に、アイザック・ニュートンの言葉が引用されていて、

「もし私が遠くまで見ていたとしたら、それは、巨人の肩に乗っていたからである」というものです。

それを引用した上で、先人の知識を蓄積したものである本を読むことで、「巨人の肩に乗れる」旨が書かれています。

ニュートン自身の主旨としてはあくまで先人の知識の上に立つが故の自身の実績である、というもので、

必ずしもそこに書物というフォーマットは意識されていないと思いますが、それはともかく、

この文章ではこの言葉も引用した上で、「先人の知識を圧縮して得られる」ことを読書の利として述べています。

 

知識や先人をより抽象的に捉えて、

「他者の経験を圧縮した形で追体験できる」とすると、

これはより広い文章ジャンルに当てはまる、読書の捉え方となります。

そして、その解釈は、児童向けの読書を勧める内容の説明的文章においても頻出のものです。

現実の世界ではありえない、あるいは難しい人生をフィクション・あるいは他者の経験を通じてなぞる、というのは、

読書の楽しさを実感する部分として、大変分かりやすいものです。

 

読書の魅力として、その観点を否定する気はありませんが、

それとは反する、むしろ、実際に自身が経験済みの出来事、心情を、再度文章の中で追体験する、というものが、

実は読書の楽しみの中でも、相当大きなものだ、ということと、

そうであるのにも関わらず、前述の観点と比べて、この視点での文章が(少なくとも教材とされてきた文章たちの中では)少ないな、

ということに気が付きました。

 

というのも、

本日扱ったのは飼い犬が亡くなってしまう、という文章だったのですが、

同一体験をしている私と比べて、

ペットを飼っていない、飼ったことがない生徒たちの方が、明らかに受け止めている「悲しさ」のリアリティが弱かったのです。

悲しさが描かれたシーン、それがどういう理屈で悲しいのかは正しく読み取れていますから、読解力の問題ではありません。

そうではなく、持ち合わせている重ねられる材料の差が、その原因です。

 

ちょっと長いので、続きはまた次回にします。

前にも、読書論について書いたときは長くなってしまいましたが、今回も……。

 

 

◆今日の一問:ニュートンは何で有名な人か。

 

ena塩浜 青木

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